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フォッカー F27
日本サッカーの父、デッドマール・クラマー氏の語録にこんなのがあります。
「試合で勝った者には友達が集まってくる。新しい友達もできる。しかし、本当に友人が必要なのは敗れた時であり、敗れたほうである。私は敗れた者を訪れよう。」
確かにそうだ。
苦境に立った時ほど助けが欲しい。
そして助けてくれるのが本当の友人だ。
でも意外と苦境の時って誰でも普通に助けの手を差し伸べてくれるんですよね。
同情とか責任感とかがあるから。
一方で江川晴さんがこんな事言ってます。
江川さんが看護師時代に小説で賞を取った時に友達の半分は喜んでくれて半分は良い顔をしなかったそうです。
なかには理由は分からないまま絶交を言い渡してきてそれっきりの友人もいたとか。
その時江川さんは思われたそうです。
「本当の友人は人の成功を自らの事のように喜んでくれるものだなぁ」
と。
絶交を言い渡して来たのはねたみとか江川さんの活動を二足のわらじ的に捉えて快く思わなかったりとか色んな理由があったのでしょう。
でもねー。
本当の友達なら快く思えない点があってもその事を本人にぶつけて同時に喜ぶものですよね。
苦境の時に支え、喜びの時に共に喜ぶ。
それが真の友でしょう。
さて、そこで思った。
わしは友人にとってそんな友人足り得てるだろうか。
正直かなり怪しい。
まず困ってる友人を助けた覚えがない。
おまけに嫉妬深いから友人の成功も嬉しいより悔しい。
うわお。
サイテーだ。
わしならわしみたいな人間は友人にしたくないなー。